1944年、コシヒカリで知られる新潟県北魚沼地方の山里(現魚沼市)にて、 専業農家で5人兄弟姉妹の次男として生まれる。 生来虚弱で、中学校までは体育の授業も見学させられ、 自然の動植物を一番の友とした引っ込み思案の少年?。 兄や姉は中学卒業してすぐ働いた(当時の農家は殆んど)のに、 幸運にも1回限りと父から許された国立大学を受験、入学。 高田(上越市)と新潟(新潟地震体験)で学び、1966年22歳で教職に就く。 巻町(新潟市に合併)1校1年、 中条町(胎内市)1校6年(羽越水害体験、結婚し長男誕生)。 長岡市2校28年と県内4高校を35年間勤務し、2001年3月退職。
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追記 ホームページ開設後の近況メモ 2003年4月6日、自宅で介護していた養母永眠、行年92歳。 葬儀と49日法要を済ませて、5月末立川病院の整形外科を受診、即入院車椅子生活。 生検の結果、悪性の骨腫瘍でアダマンチノ−マという珍しいタイプと判定され、 6月新潟大学医学部付属病院へ転院する。 6月30日、右脚脛骨を膝下から足首関節まで切除し、 左脚腓骨を移植する大手術を行う。 創外固定という金具を付けて、車椅子の生活が2004年2月まで続く。 |
2004年4月、自宅の改築工事を始める。 古家に住みながら、その一部を壊し菜園と花壇も潰して整地し、 バリアフリーで高気密・高断熱・高耐震構造の平屋建てとし、7月末に引っ越しを完了。 脚にプラスチックの装具を付けながらの運搬作業で無理をした。 8月6日、右脚の移植骨を疲労骨折。大学病院へ入院してギプスで固定する。 10月7日、ギブスはずして新たな装具を付けて自宅でリハビリ開始。 10月23日、新潟県中越地震(川口町は震度7、長岡市は震度6弱) 我が家は家屋・家具等に大きな被害は無く、電気・ガス・水道が使えて自宅で生活が出来た。 10月31日、長男が京都・比叡山で結婚式!! 交通マヒで 私と妻は式に出席できず。 |
2005年1月〜4月、19年ぶりの大雪となる。 妻と二人三脚で、右脚は装具を付けて屋根の雪下ろしと玄関前の除雪。 2005年5月〜8月、造園業者に頼み、庭木の一部を移動し、 池を作って東側の庭全体を整備する。 2005年9月初め、左首に痛みが出て、肩痛から手の痺れまで感じるようになった。 MRI検査の結果は頚椎の椎間板ヘルニア (首の骨の間にある椎間板の一部がはみ出し神経根を圧迫) 痛み止め薬で様子を見、悪化すれば手術しかないとのことであったが、 徐々に痛みが弱まって、9月末には症状が無くなりホッとした。 その裏で、実はもっと厄介な病が進行していました。 春から断続的に続いていた下痢が8月末には一旦治ったのに、またぶり返し、 発熱や腹痛は無いが、出血を伴って日に4回ほどの下痢が続きました。 9月26日、立川病院消化器内科を受診する。 10月8日、血液検査・便検査の結果はともに異常が無し。 10月18日、一泊入院して、初めての胃カメラ検査と大腸内視鏡検査を実施した。 胃には異常が認められず、大腸の末端10cm位の所に炎症があり、 生検のため粘膜組織を5箇所切り取り、組織検査の結果を待つ。 10月29日、潰瘍性大腸炎と診断された。 (・・? ペンタサという薬(恐らく生涯飲み続けることになる)を処方され、 外来で様子を見て、悪化したら入院といわれた。 ((+_+) ) 「大腸の粘膜に炎症が生じ、潰瘍やびらんができて下痢や粘血便が起こる病気。 原因不明(免疫異常説が有力だが)で、根治できない難病の一つ。 活動期(再燃期)と緩解(かんかい)期を繰り返し、 重症化すれば大腸全部を切除するしかない。」 |
2006年1月〜2月、暖冬予報に反し、厳寒大雪となる。(平成18年豪雪) それでも屋根の雪下ろしは前年と同じく1回ですみ、大腸の調子は安定してきた。 7月は長雨が続き、日照時間が特に少なく、8月は猛暑となった。 秋は気温が高く晴天が続き、我が家の果樹(りんご・洋ナシ・ベリー類)や、 菜園のニガウリやナスが秋遅くまで収穫でき、まさに実りの季節となりました。 |
11月13日、癌の転移が無いか調べるために大学病院でCT検査を受ける。 24日、癌の転移は認められないが、肺に影がある。 血液・胃液検査ともに問題なく、結核菌は検出されなかった。 12月7日、新潟大学病院内科、光学内視鏡室で、気管支鏡検査を受ける。 点滴をつけ、口・のど・肺を局部麻酔して 検査台に仰向けになり、目隠しされて口から管を挿入する。 生検のため組織の一部を採取し、検査後、休息ベッドまでは車椅子で運ばれた。 結核菌は検出されないが、新潟大学病院第二内科・鈴木栄一教授の診断は、 「3年前のCT画像との比較で肺結核の疑いが濃厚」との診断。 |
2007年3月2日、肺結核根治を目指して投薬治療を開始。 結核菌を殺す薬を3種類・7条と3カプセルを、毎日服用する。 月1回内科外来を受診。血液検査で肝臓等に異常が出てないかチェックし、診察受ける。 8月31日、薬を2種類に減らして4錠3カプセルの投薬治療を継続し、 外来受診は2ヶ月に1度となる。 2008年3月14日、薬を1種類4条に減らし、外来受診を3ヶ月に1度とする。 2009年2月13日、投薬治療を終了して経過観察に移る。 2010年2月12日、肺結核の治療を終了した。 3年間、胸部CT検査を計6回実施し、慎重に時間をかけて治療していただきました。 2010年3月、長男夫婦に待望の赤ちゃん生まれる。 長岡と大阪に離れてはいますが、家族が増えて5人となりました。 4月と11月に手術後初めて遠出をして1泊し、初孫との交流もできました。 一方で、夏まで元気に働いていた弟がスキルス胃ガンと告げられ、 10月には永眠してしまいました。これからの自由な時間を楽しみにしていたのに・・・ 記録的な猛暑の年でした。 今日は2011年1月31日、厳しい寒さが続き、豪雪の被害や交通マヒが 各地で生じています。長岡の積雪は140cm程ですが、魚沼市では4m近くの所もあり、 実家のある小出は306cmと聞きました。 春が待ち遠しい毎日、 9歳7ヶ月となった柴犬のナッチャンとの雪中散歩を欠かしません。 アダマンチノーマの手術から7年半経過した右脚は、 6ヶ月毎に大学病院整形外科を受診して、堀田準教授の診察を受けてきましたが、 脚部は順調な経過で問題は無く、気になるのは肺への転移だけという状態です。 私は、転移は無いと信じています。 2011,01,31、 追記・更新 |